アークエンジェルにある、比較的質の良いベッドを置かれた、個人部屋と考えれば十分と言える広さの一室。
そこは士官に宛がわれる部屋。
キラは、そこで電気も点けずに、頭まで毛布を被って震えていた。
身体を出来うる限り小さくしている様は、あまりにも憐憫を誘う。

孤独と言う恐怖に、今のキラは襲われているのだろう。
だから、全てを拒絶する。

周囲も、キラの心も、全てが暗闇に染まっている中で、ただトリィだけが声を上げて飛び回っていた。
まるで、キラを元気付けるかの様に。

「トリィ!!」

大きく一声鳴いて、トリィはキラの肩へと止まる。
出来の良いそれは、ペットロボでありながら、とても軽い。
けれど今のキラにとっては、どんなに軽くても、トリィだけが寄る辺であった。

トリィしか居なかった。

「・・・とりぃ、怖いよ」

キラが人差し指を差し出すと、頭の良いトリィは、肩からキラの指へとチョコンと移動してくれる。
だが、さすがに疑問に応える程の機能はトリィにはないから。
どんなに泣き出しそうな声で聞いたとしても、目を合わせる様にして首を上げて、「トリィ」と小首を傾ける事で精一杯の様だ。

上手く相槌を打てるだけでも、十分優秀なペットロボと言えるかもしれないが。

「・・・うん、そうだよね」

キラの瞳がまた閉じられる。
その瞳から、とうとう一粒の涙が零れ落ちた。

「アスラン。今どこにいるの?逢いたいよ・・・」

今のキラは、常のキラではない。
キラの中に居た、もう一人の人格。

本来ならば表に出る事はない、キラの中に存在するあるモノの為に『作られた』、人格だ。

と言っても、過去に一度だけ表に出てきた事がある。
その時も、今と同じ様にキラの窮地であった。
作られた人格であっても、それでも主人格と言えるキラが好きで、守りたくて、何時しかそれを存在する意味にしていた人格だから、キラの窮地に出てきてしまう。

だから人格が入れ替わった直後であった先刻まで、意識の混濁が起きて、まるで記憶喪失の様な症状を見せた訳である。
今は、キラを取り囲んでいた無数の悪意からも離れられたおかげで落ち着けてきたから、キラの持っていた記憶も分かっている状態になれた。

ただ、この『キラ』が目覚める代わりに眠りにつけたキラが、眠りにつく直前まで情緒不安定であったせいか、それに引き摺られて『キラ』まで情緒不安定になってしまって、こんなに怯えている。
まあ、キラが本当は逃げたがっていた、と言う部分を、本能をそのまま表わす傾向の強い、『キラ』が表わしているからとも言えるが。


瞳からまた一つ零れた落ちた雫が白いシーツを塗らした時、暗い筈の部屋に光が差し込んできた。
何事かと思って、キラは涙を袖で拭きながら顔を上げる。

光の中に立っていたのは、黒い影を背負ったフレイだった。

「・・・何?」

キラの身体が、一気に強張っていく。
まるで、緊張と言う線に縛っている様だ。

何がこれから起きるのか、そればかり気を取られたら、ドアの傍らにあるスイッチを押されて部屋の電気を付けられた。
暗闇に慣れていた目には、それが強い光に感じられて、強い痛みを目に感じた。
何度か瞬きをして何とか光に慣れ様と努力して、それからもう一度フレイを見る。

フレイの顔は、憤怒で染まっていた。
般若の様な形相とは正しくこれだろうと思われる程、復讐に駆り立てられたフレイの顔は、あまりにも恐ろしかった。

ベッドの上で震えていると、フレイは少しずつ近付いてきた。

「嫌だ!来ないでっ!」

近付いてくるフレイから送られてくるのは、負の感情だけ。

キラの身体は、恐怖のあまりにガタガタと震え出した。
元々被っていた毛布を精一杯引き上げて、もっと隅へと逃げる様は、狩人に狙われた小動物の様だ。

「・・・何が、『来ないで』よ。ふざけないでよね!!」

叫んだフレイは、キラの細くなってしまっている腕を無造作に掴み上げて、その華奢な身体を毛布の山から無理矢理引っ張り出した。
一瞬の出来事に、キラは動転して目を白黒させてしまう。
崩れたバランスを直そうと、キラは安定を図るが、フレイはそれを許してはくれなかった。
掴まれた腕に更に力が込められて、キラは部屋の外へと力任せに引き摺られていった。

幾らキラが度重なる戦いの重圧のせいで体重を落としているとは言え、女性の力でそう簡単には男を引っ張れる訳がない。
だが、怒りに囚われたフレイは、普段以上の力・・・つまるところ、火事場の馬鹿力に分類されるそれでもって、キラを引っ張れていた。

自動扉である部屋の扉は、キラが通り終えると、そのまま、また固く閉じられた。

動転して動けずにいるキラを、トリィだけが心配するかの様に宙で舞う。
トリィのそんな動きがフレイの癇に触ったのか、キッと睨み上げるやいなや、フレイは平手で空を飛ぶトリィを叩き落してしまう。
何て惨い事をするのか。

勢い良く叩かれたトリィは、当然空から落ちて、音を立てて地面に衝突した。

「と・・・り・・・ぃ」

しかし、打ち所がまだ良かったらしい。
全壊する事はなかった。
だが、電気が通っているらしい瞳がピコピコと数度点滅すると、キラの傍を離れない様に作られている筈のそれが、どこかへと飛んで行ってしまった。

「と・・りぃ・・・?トリィ!!待って!・・・置いてかないで!!!」

どこかへと飛び去ろうとするトリィをキラは追い掛けようとするが、フレイに阻止され叶わなかった。
キラの膝が、ガクンと崩れ落ちる。
人は悲しみが過ぎると泣く事も出来なくなると言うが、今のキラは丁度そんな感じなのかもしれない。
見開かれた瞳から涙が零れる事はなかったが、その瞳からは『絶望』の感情しか読めなくなってしまっていた。

平常時であれば、誰が見ても異常だと思うに違いないが、今のフレイがそれに何かしらの感慨を涌かせる訳もなかった。
首根っこを捕まえて、フレイは一方的に怒鳴りつけた。

「あんた、コーディネイターのくせに戦わないってどう言う事よ?」

フレイの声が、誰も居ない廊下に響く。
普段ならばもうすこしこの地区にも人の出入りはあるのだが、今はキラが人に怯えると聞かされている為に、艦長命令で誰も近付かない様にしてるからだ。

今のキラに、自分の身を守るだけの強さはない。
与えられる痛みを全てそのまま受け取ってしまう。
フレイの言葉に真正面から受けた、孤独と悲嘆に暮れるキラの心は、直接触れられている訳でもなかったのに、痛くて仕方なかった。

「どーせ、戦うのが面倒だからって精神異常を起こしたフリしてるだけでしょ?コーディネターなんだから、壊れるなんてある訳ないじゃない。本当、ふざけないでよね!先に約束を破ったのはあんたなんだから、ちゃんと戦いなさいよ!」

「・・・や・・・・・・くそ・・・く?」

何の事だっけと一瞬考え込む。
すると、続けざまに暴言はぶつけられた。

「あんたが言ったんじゃない、『僕が守るから』って。それなのに、あんたはパパを守ってくれなかった。だから、あんたは私の為に戦って戦って、コーディネイターを殺して、ボロボロになって死ななきゃいけないのよ!!」

目を見開いて、キラはフレイを見た。
そんなキラに、フレイは舌打ちして、また無理矢理引っ張っていった。
無言の肯定と言う事にしたのだろう。


抵抗のないキラを、だからこそ重い筈なのに引っ張って、フレイは格納庫まで連れて来た。
復讐への執念のなせるワザである。

格納庫の壁に固定されているストライクを見やったフレイの顔は、また一層険しくなった。
これさえなければ、そんな思いでいっぱいなのだろう。
その一方で、キラの顔は悲痛そうに歪められていた。

戦闘行為を出来る限り避けると艦長が宣言した為に、今現在格納庫に人気はない。
だからこそ、フレイはこんなにも自由に動けた。

さすがに、コックピットの高さまで動かないキラを持って階段で上がるのは難しくて。
メチャクチャな理論、いや悪感情をぶつけて、キラを無理矢理に歩かせて上らせる。
フレイが恐いキラは、後ろから責められる事が恐くて、ただ上るしか出来なかった。

何時知ったのか、フレイは外部スイッチを押してストライクのコックピットを開けてしまう。
頭を捕まれて、開かれたコックピットの中に頭を突っ込まれたキラは、言い知れない恐怖感に襲われた。
頭の中で、警鐘がどんどん大きくなっている。
それに比例して、心音も早く脈打ち始めていた。

ガタガタと震えて汗を垂らしているキラを、フレイは一瞥するだけで、さっさとキラをコックピットの中へと押し込んだ。

「い・・・やだ・・・」

やっと言葉を発したキラを見て、フレイは鼻で笑い返した。

「何が嫌よ。あんたはそこに座って、コーディネイターを殺し続けてくれたじゃない。好きなんでしょ?殺すの。だから、戦えるんでしょ?」

「ちがっ・・・」

「何が違うのよ?ほら、さっさと行きなさい!それとも、あんた“仲間”だからあいつらを殺せないとでも言うの?あれだけ殺せたのに?」

キラの脳に、あの光景がフラッシュバックした。
赤い機体イージスが爆炎を立てて海へと堕ちていく、あの光景が。

「いや――――――ッ!!」

キラの叫び声が、格納庫内に響き渡る。
これは聊か不味いと思ったフレイは、手を振り上げた。

「五月蝿いわよ!黙りなさい」

キラの頬に、力任せに平手打ちをする。
叩かれた頬は腫れ上がり、同時にフレイの手を赤くした。

「おいっ嬢ちゃん!何してるんだ?!」

叫び声を聞きつけたらしいマードックの声がする。
フレイは舌打ちして、キラを押し込んでコックピットを強制的に閉じさせた。

マードックが慌ててフレイの元へと行っても、もう遅かった。

「それで空に出て、戦いなさい。私の為に」

閉じられたコックピットの中。
キラは、ここから『逃げ出したい』一心で、ストライクを発進させていた。


突如として艦内に警報が鳴り出して、誰もが身を固めた。
これからの進路をどう取るかで揉めていたブリッジに、否が応でも緊張感が走る。
背中に汗が流れたのは、きっと一人や二人なんて数ではない。

「一体、何事なの?!」

「ハッチが強制開放されたみたいです!!ストライクが発進しています!」

マリューの戸惑いに、ミリアリアが答えた。
もう、ミリアリア達とて軍人である。
思う事はあっても、勤務に付かなくてはならなかった。
食堂で小休止を取れたのは、マリューの優しさしかない。

ミリアリアの報告に、誰もが驚きを隠せない。
何故と疑問を抱くと、同時に、格納庫からの通信が入った。
原因を知っているかもしれないと通信の許可を出すと、慌てているマードックが画面に映し出された。

その隣には、般若の形相をしてマードックに拘束されてなお、暴れるフレイが居た。

「この嬢ちゃんが、坊主をストライクに無理矢理乗せて発進させやがったらしい」

「何ィ!?ならば、早く連れ戻せ!!!」

ナタルの怒号がブリッジに響く。
そして、フレイがさせたと言う事実に椅子で固まってしまったミリアリアの代わりに、ナタルがストライクへと通信を開いた。
緊急事態への対処は、どれだけ早く冷静さを取り戻せるかに掛かっている。
ナタルはその点で、とても優秀な軍人と言えた。

「おい、ヤマト少尉。・・・キラ・ヤマト。聞こえているのならば、返事をしろ!」

キラは、既に軍人ではなかった。
だから名前を呼ぶしかない。
何故なら、精神異常を起こしてしまったと知った時に本部へと通信を開いて申請したら。
「そんな者は最初から登録されていない」と、無情な言葉だけを返されたからだ。

ナタルの声に触発されて、学生クルー達も続けざまにキラへと声を掛けた。
しかし、聞こえてくるのは彼の慟哭だけであった。

あまりにも痛ましい。

どうしたら良いのか。
答えが見えなくて、それでも声を掛けずにはいられなくて声を掛け続けていたら、フとミリアリアの耳に小さな声が聞こえた。
本当に小さな声だったから、一瞬聞き間違いかとさえ思った。

何時もキラの通信士をしていたミリアリアだから、聞き取れた様なものであった。

「トリィを返して」

そう聞こえた気がして。
ミリアリアは、皆に静かにしてくれる様に頼んだ。

「皆、ごめん。ちょっと静かにして」

「ミリィ?何か出来そうなのか?」

「うん」

深呼吸を数度する。
子供の相手をする時は、出来る限りこちらの動揺を隠さなくてはいけない。
こちらが抱く感情は、全部子供には分かってしまうから。

キラは同年代の友達だけれど、今のキラは幼子の様に思えたから、ミリアリアはまず自分を落ち着けた。
それから、マイクに向かって口を開く。

「キラ。・・・トリィは艦内にいるわよ。だからね、戻って来て?」

ミリアリアが出す優しい声に、皆がミリアリアを見つめる。
それから、誰もが祈った。
キラに戻って来て欲しいと。

何度かミリアリアが、「戻ってきて」と繰り返す内、段々と泣き声は収まっていき、最後には弱々しい、けれどちゃんとした返答が返ってきた。

「・・・本当?」

ミリアリアは、自分の声が届いた事が嬉しくて、涙が零れ落ちそうなのを我慢しながら、キラを画面越しに見つめ返した。
トールは、そんなミリアリアの肩を抱いて、『よくやった』と叩く。

「ええ、本当よ。だから戻って来れるよね?」

「・・・うん。・・・良かった」

それは、久しぶりに見たキラの笑顔だった。





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