「と、言う訳だ。どうする、艦長?」
先刻の騒動を伝える為に、フラガはマリューとナタルを呼んで艦長室にいた。
当たり前だ。
生命線と言っても過言ではないキラの精神が可笑しくなっているとしたら、それはかなり重大な問題なのだから。
これから先どうやってザフトと渡り合うのか。
キラが居なければ、自分達などすぐに堕ちてしまう。
「・・・それは、本当なの?」
「ああ・・・。キラに『誰?』って聞かれちまったよ。フラガだって言っても、『そんな人、知らない』ってよ」
言い様は軽いが、事は重大である。
フラガの一言にマリューは顔を伏せた。
そしてそのまま、次の言葉を呟いた。
「・・・お友達の方は?」
自分達の様な大人ではダメでも、友人だったら?
キラが戦い続けた“理由”ならばと、淡い希望をフラガに向ける。
しかし、返って来たのは。
「それもダメ。坊主をコックピットから引っ張り出して、怯える坊主を無理矢理部屋に連れて帰る途中に他の坊主達に会ったんだけどな。その友達にですら怯えてた」
フラガの大げさなアメリカンスタイルでの否定であった。
マリューは椅子に深く座り直し、思わず天を仰いだ。
艦長としての自分が、これから取るべき道は何かと模索する。
その様子を見ながら、フラガは、パイロット席で蹲っていたキラを無理矢理引き摺り出して、喚き散らしているのを半ば無視しながら部屋へと送っている時のことを思い出した。
喚き散らしているキラを見つけたトール達は、自分達が軍人である事も忘れて、一目散に上官であるフラガに文句を立てた。
本来ならば、戦場で上官に逆らえば軍法会議、即銃殺に処されても文句は言えない。
目の前の子供達がその事を知らないとしても、それが根っからの軍人であるフラガにとっては普通。
だから、友の為ならば真っ直ぐに上官に文句を言える彼らなら、こんな状態であるキラも任せられるだろうと考えて、事情を話して引き渡そうとした。
だがキラは、そんなトール達にですら怯えて、「誰?・・・来ないで」と言っていた。
トール達が、その一言に茫然自失となったのは、言うまでもない。
「それで、キラ・ヤマトは今現在どうしている?」
ナタルの言葉は、何ら同情のない、冷たいものであった。
きっと彼女の中でのキラは、あくまでも敵対するコーディネイターであり、自分の命令を忠実に聞くべき部下でしかないのだろう。
なまじキラが戦えてしまった分、キラが戦闘訓練も何も受けていない、ついこの間まで只の学生でしかなかった事など、忘れているに違いない。
「部屋のベッドで丸まってると思うぜ。会う人間会う人間、皆に怯えてたんだからな」
だからフラガは、あえて軽い物言いを止めて、真剣な表情で事実を述べる。
ナタルにも、事の重大さを分からせる為に。
それが功を奏したのか、部屋に再び沈黙が落ちた。
痛い沈黙だが、誰も何も言えない。
事実が重過ぎて。
それから少し経って。
思い溜め息を吐きながら、マリューが口を開いた。
「これで本艦の護りは、少佐のスカイグラスパーとアークエンジェルの武装だけとなりましたね」
マリューは、一言一言静かに呟いた。
これは、キラはもう戦闘には出さないと言う事を暗に言っている。
「・・・それでも、我々はアラスカへとこれを持ち帰らなくてはなりません」
軍人としての任務。
人間としての感情。
何を守れば良いのか・・・。
迷うのはきっと、マリューの優しさ故。
「よって本艦はこれより、ザフトの攻撃を回避しつつ、アラスカへと全速力で向かいたいと思います」
マリューが顔を上げて、二人へと言い切った。
そこにあるのは、強い意志の灯る瞳。
この瞳こそ、フラガとナタルが、マリューを艦長に据えると決めた理由であった。
キラをすぐに降ろして上げられる状況でも、味方を呼べるだけの実績も上げていない艦でもなく、かと言って軍人として簡単に投降する訳にはいかないから。
これが、今キラにしてあげられる最大限だった。
「つまり、あちらさんに見つからない事を願う、神頼みって訳だな?クルー全員の運を合わせれば何とかなるかねぇ〜」
場を和ます為にフラガはこんな物言いをしたのだが、二人から冷たい視線を貰うだけであった。
白々しく咳き込んで、何とか誤魔化してみるしかない。
「バジルール中尉は何か?」
マリューは、呆れた様な溜め息を吐きつつ、フラガの明るさに救われた思いを内心で抱きながら、ナタルにも問い掛けた。
クルーの意思を出来る限り統一する事も、艦長の仕事の一つだ。
果たして、ナタルは瞳を閉じて首を横に振ってきた。
根っからの軍人であるナタルは、色々と思う事はあっても、上官に逆らうと言う考えを持ていないからである。
「いえ、・・私もそれしかないと思います。」
キラを戦闘へと出さない。
上官がそう言う風に考えているのならば、ナタルにはそれ以上の事は言えないのだ。
「んじゃ、他のクルーにこの決定を伝えますか」
フラガの言に、マリューは立ち上がり、二人を引き連れて艦長室を出た。
緊急通信。
戦闘警戒指示以外で、初めてトール達はブリッジへと呼ばれた。
トール達は、仕方なく重たい足を引き摺る様にしてブリッジへと急ぐ。
軍人であるのだから、どんなにキラの件が心に引っ掛かっていたとしても行くしかなくて。
ブリッジに入ると、マリューは艦長席の前に立ち、その後ろにナタルとフラガが控えていた。
ついこの間まで、トール達は平和な場所で学生生活を送っていた。
戦争なんて、外の世界の出来事で、自分達には関係のない事でしかなかったのだ。
けれど、もう戦争を知ってしまった。
だからなのだろう、トール達もまた軍人特有の厳粛な空気に溶け込む事が出来ていた。
「・・・詳しい検査をしていないですし、本来であれば許されない事かもしれませんが、決定だけを言います。次回の戦闘より、キラ・ヤマト少佐を戦闘から外します」
キラが恐慌状態に陥り、手の付けようがなくなっている事など、もうこの艦の人間には周知の事である。
当然と言えば当然の事。
ならば、これからどうするのかが、皆にとっては聞きたい事であった。
「よって、フラガ中佐のスカイグラスパーとアークエンジェルの武装だけがこの艦の護りとなります。ですから我々は、これより全ての戦闘行為を避けて、全速力でアラスカへと向かいたいと思います」
厳しい顔つきで、マリューは言い放った
これは願いではなく、上官命令だからだ。
今までザフトから逃げ切る事が出来ていたのは、単に味方にストライクが居てくれたからである。
そんな事は、誰だって分かっていた。
決して、アークエンジェルが優れていたからではない。
いや、確かに、戦艦の通常乗組員人数を考えれば、あまりにも少ない乗組員しかこのアークエンジェルには乗っていないのだから、個々人の能力は優れていると言える。
そうでなければ、アークエンジェルは通常の戦艦並か、それ以上の働きなどしてくれなかっただろうから。
だが、ストライクの力が一番だ。
ストライクが居なければ切り抜ける事の出来なかった場面が幾度となくあるのだから、当然である。
それなのにストライクを戦闘から外せばどうなるかなんて、誰だって分かっている。
分かっていても、この場にいるクルー達は誰一人として、その決定に反論しようとする者は居なかった。
キラの戦闘を一番近くで見続けていた彼らは、キラの苦しみも悩みも知っているからである。
もしもキラが、誰が死のうが殺されようが自分さえ無事なら自分には関係ない、と言う冷たい思想の持ち主であったなら、きっともっと簡単に、『利用』出来た。
でも、戦う事に悩んで、苦しんで居た事を知っているから、この決定に反論など出来ない。
もう、キラが戦わなければ自分達が死ぬから、なんて心に言い訳をしながら、キラを戦わせずに済む。
そう思えれば、むしろ心は軽くなった。
「何か聞きたいことはありますか?」
普通は下位官にこんな事は聞かないだろう。
しかし、マリューは聞いた。
自分の決定に、皆がついてきてくれるか不安だったから。
「・・・キラはどうなってしまうんですか?」
マリューが問いてきたのは、アークエンジェルの今後の方針についてであったのは分かってる。
けれど、ミリアリアは聞いていた。
自分達のせいで壊れてしまったキラは、一体どうなってしまうのだろう?
キラはコーディネイターだから、もしかして。
考えてみれば最悪しか考えられなくて、恐かった。
「・・・アラスカへ着けば、それなりの計らいを取ってもらえると思うわ」
「そうですか」
マリューのきっぱりとした言い様に、ミリアリアは逆に不安を募らせた。
だってアルテミスの時、彼らはキラをどう扱った?
コーディネイターでも地球軍として戦ったから大丈夫、なんてどの口で言ってくれるのだろう。
だけど何も言えない。
軍人として命令したマリューと、友達として懇願した自分達と、何も変わらないから。
「私達・・・のせいよね」
「ああ・・・俺達のせいだろうな。戦闘でフォローしてやれなくても、せめて戦闘以外の部分でフォローしてやれてれば、今回の事はなかったかもしれないし」
マリューの話を聞いた後、トールとミリアリアは食堂へと移動した。
彼らの言葉数は、普段に比べれば異常な程に少ない。
その代わりと言う様に、二人の口からは止め処なく溜め息だけが零れていた。
目の当たりにしたキラの異常。
どうして、あんな風になるまで自分達はキラを放って置いてしまったのだろう。
キラの負担を減らせる様にとブリッジに入ったのに、それすらもきっと優しいキラにとっては負担だった筈。
トール達はそれを分かっていて、キラだけを戦わせる事への罪悪感を減らす為だけにブリッジに入って、キラだけを戦わせ続けた。
その上、艦内でコーディネイターであるキラへの風当たりが強かったのを分かっていて、それを咎める事も一度もしなかった。
どんなに軍人として働いたとしても、所詮は訓練を受けてない子供だと舐められていたから、なんて言い訳を心にまたして。
トールとミリアリアは、対面して座っていながらも下を向いて目を合わられせずに居た。
考えるのは、犠牲にしてしまったキラの事。
二人が同時に吐いた溜め息が合図だったのか、サイが食堂へと入って来た。
見た感じ、サイの息が上がっている。
あの話の後で、何故そんなに走り回れるのか。
トールとミリアリアなど、動く気力もなくてここに居たのに。
「なあ、フレイ知らないか?」
「ここには居ないわよ」
ミリアリアが答える。
トールと二人で話しをしていたのだから当然である。
ねぇとミリアリアが同意を求めれば、トールも頷く。
サイは、大きく深呼吸を繰り返しながら苦笑を浮かべた。
「そっか・・・。邪魔して悪かった」
まだ息も整ってないだろうに、サイはまたどこかへと走り出した。
地球に下りて来て、すぐにフレイの裏切りに遭ったと言うのに、健気な事である。
サイの背中を見送って、トールは見えない空を見上げる様にして、大きく反り返った。
「ホント、俺達何してるんだろうな」
誰に言った訳でもない言葉が、宙を彷徨って消えていった。